パリ発 DELSEY PARIS がついに上陸!
- 2023/10/02 11:30
- カテゴリー:バッグ
フランスのプレミアムラゲージブランドが日本に本格上陸
〈DELSEY PARIS(デルセー)〉の勢いが止まらない。1946年にフランスで設立され、現在、世界市場第2位を占めるシェアを誇るラゲージブランドがコロナ禍以降、著しい成長を遂げている。2022年には米国で純売上高が前年比の約3倍に達し、全世界の純売上高は前年比124%増の2億700万ユーロというから、まさに破竹の勢いだ。さらに今年4月には、アジア初となるフラッグシップストア『DELSEY LAB』を東京・渋谷キャットストリートにオープンした。
そんな〈DELSEY PARIS〉が渋谷の地で、一人の異才と邂逅を果たした。パルクールアスリートのZEN氏である。パルクールとは、地形や建物などの環境を使って、飛ぶ、走る、登ると自身の動作だけで自由に移動し、障害物をクリアしていくフランス発祥のスポーツだ。世界各国のトップパルクールアスリートで構成される“TEAM FARANG”のメンバーに所属するZEN氏は、さまざまな大会やイベントで活躍し、2015年に北米で行われた全米・北米大会「North American Parkour Championship」では、アジア人初となる優勝を達成。パルクール世界大会「E-FISE・FIG PARKOUR VIRTUAL COMPETITION FREESTYLE PRO MEN」では全世界27カ国、男女合わせ70選手(男子46、女子24)が出場したなか優勝。名実ともに日本におけるパルクールの第一人者である。
ここで〈DELSEY PARIS〉というブランドについて、あらためて紐解いておこう。〈DELSEY PARIS〉が世にその名を知らしめたのは1940年代のフランスから。人々が自由に移動し、観光業が盛り上がり始めたこの時代に、いち早くスーツケースやヴァニティバッグ、ブリーフケースなどのトラベルラゲージを開発した。1970年代には耐久性に優れた硬質シェルのラゲージを開発。独自のトローリーシステムを導入し、収納可能なキャスターを備えたスーツケースを開発したのもこの時期だ。80~90年代にかけては、ラゲージの重量や操作性、衝撃や風雨に対する耐久性など、さまざまな技術革新を成し遂げた。スーツケース専用のロックシステムを開発したり、特許を取得したセキュリテックジッパーをデザインしたり、セキュリティ機能もいっそう高められた。 自由な移動をサポートし、解放された心で旅することを可能にする使命をもった〈DELSEY PARIS〉。トラベルラゲージに「動き」を与えた〈DELSEY PARIS〉と、「動きの芸術」とも呼ばれるパルクールとの出会いは必然といえるだろう。
そんな〈DELSEY PARIS〉が渋谷の地で、一人の異才と邂逅を果たした。パルクールアスリートのZEN氏である。パルクールとは、地形や建物などの環境を使って、飛ぶ、走る、登ると自身の動作だけで自由に移動し、障害物をクリアしていくフランス発祥のスポーツだ。世界各国のトップパルクールアスリートで構成される“TEAM FARANG”のメンバーに所属するZEN氏は、さまざまな大会やイベントで活躍し、2015年に北米で行われた全米・北米大会「North American Parkour Championship」では、アジア人初となる優勝を達成。パルクール世界大会「E-FISE・FIG PARKOUR VIRTUAL COMPETITION FREESTYLE PRO MEN」では全世界27カ国、男女合わせ70選手(男子46、女子24)が出場したなか優勝。名実ともに日本におけるパルクールの第一人者である。
ここで〈DELSEY PARIS〉というブランドについて、あらためて紐解いておこう。〈DELSEY PARIS〉が世にその名を知らしめたのは1940年代のフランスから。人々が自由に移動し、観光業が盛り上がり始めたこの時代に、いち早くスーツケースやヴァニティバッグ、ブリーフケースなどのトラベルラゲージを開発した。1970年代には耐久性に優れた硬質シェルのラゲージを開発。独自のトローリーシステムを導入し、収納可能なキャスターを備えたスーツケースを開発したのもこの時期だ。80~90年代にかけては、ラゲージの重量や操作性、衝撃や風雨に対する耐久性など、さまざまな技術革新を成し遂げた。スーツケース専用のロックシステムを開発したり、特許を取得したセキュリテックジッパーをデザインしたり、セキュリティ機能もいっそう高められた。 自由な移動をサポートし、解放された心で旅することを可能にする使命をもった〈DELSEY PARIS〉。トラベルラゲージに「動き」を与えた〈DELSEY PARIS〉と、「動きの芸術」とも呼ばれるパルクールとの出会いは必然といえるだろう。